本店に還れ '04 (2004.10)

最近自分の中でのライフワークとして「チェーン店・フランチャイズ店の本店を巡る」というのがある。
都市に溢れかえる外食産業のジャングルの中、その源流であり源泉を探し出す食のサバイバルだ。
つまりそれは本店、本社直営店、または第1号店に「巡礼」することである。

かつて日本マクドナルドを一人で築き上げた創業者、藤田田のモットーはこうだった。
「勝てば官軍」

若い人の間で流行っている歌で、ナンバーワンにならなくてもいい、もっともっと特別なオンリーワン〜なんていうのがあるが、あんなものは糞喰らえだ。21世紀になり、オンリーワンの時代は終わったのだ。
しなびた定食屋や、昭和の薫りが残る喫茶店など、藤田田の築き上げたマクドナルドの一大チェーン店の足下にも及ばない。
駅前の誰も入ってないような喫茶店が、スターバックスに勝てるというのか?
ガード下の、カウンター6席しかない居酒屋が、「魚民」「白木屋」を経営する潟c塔eローザに勝てるか? 「笑笑」なんて、新しいタイプの居酒屋なんだぜ? 勝てると思うか?

答えはNoだ。世の中はパワーゲームなのである。

グルメとは何か、料理とは何か? それは時代とともに変化し続けるものであり、我々は冷静に現実を見つめなければならない。

工場で大量生産された唐揚げの冷凍が「業務用」と書かれた巨大なポリ袋に入れられ、それがフォークリフトで何袋も一気に10トントラックに積まれる。厳重な品質管理、そしてコストとの戦い。それが現代の外食産業の実体である。

しかし、そんな巨大な外食産業のジャングルの中で、源流にだけはひたすら守られ続けるクオリティやスピリットが存在する。
創業者の苦労と知恵が、合理化の中に流されずに生きている場所、そう簡単に店を閉めることなどできない聖地。それが、本店である。

10トントラックに積まれた冷凍唐揚げだって、本店で食えば美味いと感じるはずだ。それは、創業者のスピリットがそこに生きているから。
まさに砂漠の中のダイアモンド、本店こそが真のオンリーワンであり、ナンバーワンであり、聖地であると言える。

聖地。それは、信者の心の拠り所であり、何者にも侵すことのできない永遠の場所。
創業者スピリットが生き続ける「生誕の地」は、例え先代が他界したとしても、未来永劫守り抜かなくてはならない。それだけに最も重要な場所であり、命であり魂である。


つまり、信者が宗教的「聖地」を訪れるのと、ラーメンの「天下一品」の本店に行くのとは、概念的には同じだ。

これだけ全国にチェーン展開をし、マニュアル化・配送のシステム化を進め、画一的クオリティが保証されているフランチャイズ店を見捨て、敢えて京都は北白川という市内の端っこまで天下一品の本店の味を求めるのはなぜかというと、そこにしかないクオリティはもとより、生誕の地というリアルな史実を身をもって体感したいからである。屋台からスタートした木村社長の哲学を体感し、空気を共有する。
それ以外に何の理由もないストイックさは結果として「身の浄化」を招き、一生のうちでやるべきことの一つを達成した気分になる。

しかし、クオリティがフランチャイズ店に比べて高いかどうかについては、何の保証もない。
天下一品本店では、麺もスープも一から作っているという噂があるが、真実は不明である。しかし、他店より確実に美味いと感じる…。
それはプラシーボ効果なのかも知れないが、プラシーボ効果でもいいじゃないか。そこが本店であるということが重要なのだ。実際、本店には、本店にしかない限定メニューやサービスが充実している。
やはり本店=聖地は、フラグシップでなければならないのである。

チェーン店の種類だけ、本店があり、聖地がある。
普段無意識に食べている吉野家、松屋、ガスト、マクドナルド、CoCo壱番屋、ふらんす亭、安楽亭、ドトールコーヒー、ニュータンタン麺本舗、餃子の王将、モスバーガー…
それぞれにそれぞれの歴史があり、聖地があると言える。一度は聖地に巡礼してみようではないか。少林寺で言うところの「帰山」である。
本店巡礼の旅は始まったばかりである。