「ひとつのパーティが終わるとき」

怒濤の週末。土曜日に重なった二カ所でのライブ出演。しかも二つのイベントとも「最終回」だという運命のいたずら。

まずは宮城県気仙沼での「横丁ライジングX」。
震災の年の11月にオープンした復興屋台村 気仙沼横丁は、津波などでお店が無くなった飲食店が仮設のプレハブ横丁に再び集結し、復興のシンボルともいえる場所。

縁あって、気仙沼横丁1周年に合わせて開催させてもらったのが「横丁ライジング」の1回目。それから年2回ペースで開催し、天気は毎回スコーンと晴れて、いよいよ迎えた10回目!

かさ上げ工事のために来年3月で閉村となるので、この気仙沼横丁で開催する横丁ライジングは今回が最終回。万難を排して出演しなければならない。だが…! 同日に先に出演が決まっていた名古屋でのReDZoNeもあり、今回は無念のイベント途中抜け、そしてタイトな移動は必至。

なので前日入りし、雄志さんと気仙沼のおいしい物を満腹で動けなくなるまで食べ続けたりしておりました。
早い時間にセッティングしてもらった自分たちのライブも終え、その後のイベントの様子は各々の感想などを読んだりするだけですが、すげー盛り上がったようだし、産休を終えて2年ぶりの復活となったsyocoちゃんの名曲「想い」で泣く人続出とのことで、わぁぁぁ、という気持ちになったりしておりました。

色んな人の色んな想いのある場所で、色んな人と出会えたパーティの最終回。フライヤの裏面に書かれた「”復興支援は二次的結果”とし、「楽しむ」を目的に…」というコンセプト、グッと来るなぁ。

この場所での横丁ライジングは終わっても、来年から、また気仙沼で新しいことをやりたいとみんな思っているので、今回は「卒業式」。
思い出だらけのエモいパーティとなったなー。

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Enjo-Gさんを置き去りにして、ひとり名古屋に移動。15:30に気仙沼発仙台行きのバスに乗るが、渋滞に巻き込まれたりETCが故障して料金所で立ち往生したりして定刻より大幅に遅れ、所要時間3時間半。MajiでHikoukiに乗り遅れる5分前、みたいな。

無事に飛行機(プロペラ機)に間に合ってセントレアに到着し、停めた車(機材が多いので車じゃないと厳しいので)で高速を飛ばし、名古屋ナンバーのギラギラのクラウンに煽られて名古屋を感じたりしつつ、22:30にReDZoNeの会場であるSTREETに到着。

前打ち上げもリハーサルも参加できず、イベント途中での会場入りとなりました。

このイベントは10年目の今回でキッチリ最終回なのだという。
毎回、ただの倉庫のようなSTREETという場所で、クルーは前日入りをして手の込んだ設営を行い、もの凄い雰囲気を作り上げる。イベント翌日は1日かけて原状復帰させるという、パーティにかける熱量が半端ないイベント。

最終回の今回は特に気合いが入っており、入り口の出演者一覧が入った幕や、ラウンジに設置された提灯や鳥居(!)、そして相変わらずのフロアのブース設置と映像関係。何よりも凄いのはゲスト出演者。これでもかというくらい北海道から沖縄まで、いったいどのくらいの交通費がかかっているのかと心配になるほど、間違いなく伝説になるであろうゲスト出演陣。「最後だから出て欲しい人にオファーした」とのことで、そんな中に我々を入れていただいて、感謝しかない。

明け方、最後の曲がプレイされた後、スクリーンにはこれまでにReDZoNeに出演したアーティストらの名前が長々と流され、クルーからは想いが語られ、しばしの歓談タイムとなった。誰もその場から立ち去ろうとせず、「名古屋の、この場所で10年間やりきった」何とも言えない空気が流れ、何人も泣く人がいて、本当にハードコアテクノを愛している人だけの連帯感があった。
エモすぎる最終回である。

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どんなパーティでもいつか終わる。
物として残るCDなどと違い、パーティが残すのは記憶だけ。現場に行った人だけが体験・目撃でき、仲間を作れるものなのだなと、二つのパーティの最終回を同日に経験して改めて思った。

しかし最終回同士の同日ハシゴなんてこの先もそうそう無いだろうなぁ。ダブルブッキングといえば和泉元彌だが、節子ママも驚きのダブルブッキングである。和泉元彌は新宿コマ劇と岐阜県のダブルブッキングだったが、俺は宮城県気仙沼と名古屋のダブルブッキングなので、距離では俺の方が勝ってる。名古屋STREETの上空で「ダブルブッキングでも遅刻でもござらん!ずっとここで待っておったのじゃ!」と叫び、空中バボBチョップをお見舞いしたような土曜日でした。(変なオチ)