音符はダサい?を考えてみる

音符が印刷された服とか、建築物、文房具、時計… etc イメージできると思う。
それを見た時の貴方の印象はどうだろう?
特に服に音符があしらってあると、ファンシー過ぎて着るのが恥ずかしい気がする。それは何故だろう。

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※写真はイメージです

デザインが悪いのか、はたまた音符そのもののデザインがダメなのか、音符という概念がダサいのか。

しかしながら音符と、それが書かれる楽譜には、普遍性がある。
何百年も昔から使われているものだし、音符そのものがダサい、ということは無いとしよう。ト音記号や休符を今更デザインがダサいと言っても何もはじまらない。
ある意味、梵字と一緒だ。

では、残った理由は「音符をあしらうデザインがダメ」なのか、「音符という概念がダサい」か、どちらかである。

音符をあしらったデザインで、「わっ、格好いい!」と思った事がほとんど無い。
(音符デザインを格好いいと思ったことをある人をDisってるワケではなく、個人的な感想です)

デザイナーが頑張って、五線紙をカーブさせてみたり、色んな色の音符が弾けてたり、音符の上で天使が舞ってたり、魔女がほうきにまたがって音符の上を飛んでたり、流れ星が流れてたり・・・といったアレンジを加えれば加えるほど、音符デザインはどつぼにハマっていく。

「音符 カラフル」で画像検索でもしてみたまえ。原色弾ける音符デザインが山ほど出てくる。
ファンシーなのばかりだ。

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これとか
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これとかだ。
※写真はイメージです

知っての通り、音符は音楽を書き留めたものであり、それ自体に何かしらのエモーショナルな要素は持ってない。文字、数字と同じである。
そしてドレミのある音楽であれば、だいたいの音楽は音符にできる。ワルツ、タンゴから、デスメタルまでもだ。

なのに! その音符がどんな音楽を表現してようと、音符をデザインにした瞬間に激になってしまうのだ。
おもちゃ箱をひっくり返したような」感が出てしまい、小さい子供のいるファミリーに向けた夕方のNHK教育の音楽番組的になってしまう。

音符をデザインすると、ファンシーの呪縛から逃れられないのだろうか?

もしくは、概念としての音符がダサい、という考え方もある。音符全否定である。

音楽は体で感じるものだ、ストリートで生まれるものだ、音楽をやってないと俺は人を殺していたかも知れない、といったような世界のハードコアなシーンからは、格好いい音楽が聞こえてきても、なぜか音符感は少ない。ワルほど音符から遠い。(イメージで語ってる)

誰か思い切って、CDのジャケットにカラフルな音符をあしらってみてくれ!!
意外と新しいかも知れんぞ。

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