「怒り」を原動力にして自分の音楽を作るということをやったことがない。強いコンプレックスがあって、それを原動力にしているわけでもない。そもそもそういう創作方針が、丸っきり向かない性分のようである。
ただ、ああいうのが作れればなんて素晴らしいのだろう、という憧れを追い続けるのみ。憧れの対象と自分との距離が原動力とも言えるかも。そういう意味では、結構ストイックかも。
なので、メッセージ性のある音楽を作ったことがないし、自分の音楽にメッセージを込めようとも思わない。だから語弊があるとアレだが、原発反対のための音楽を作る気持ちみたいなものも自分には無い。
悲しいと思ったから悲しい曲を作るといった自己表現でもない。自分の内面を表すことではない。恥ずかしい。音と自分の間には常に一定の距離を保っておかないと、自由に動けない気がする。そして音を作ると、その世界に入れた気がするから、出来るだけ色んな世界が見たい。だから色んなことがしたい。すぐにとっちらかる。これも性分。同じ事を集中してやりつづける事が向いていないし、過去にそういう方向でやったことも無い。出来なかった。
ただただ笑わせたいとか踊らせたいとか、低域が気持ちいいとか、メロディと和音が気持ちいいとか、リズムが気持ちいいとか、そういう部分を見失いたくなくて、そしてそれはどういう音なのだろう?というのを追い求めるのが自分の音楽だと気づいている。
何かしらなりたい姿とか、作りたい形があり、それをプラモデルのように組み立てていくことが理想であり、やりたいスタイル。なので掴み所が無いと言われることも多いが、承知の上。仕方がない。
やはり誰でも、達成感だとかを感じて、自分や仲間が一番ニヤニヤできることをやりたいでしょう。そのプロセスは人それぞれ。全ての音楽家に道があると思う。
DTMという形で音楽を作ってきたけれど、DTMの枠の中ではどうしても出せない音が結構ある。いくらソフトシンセの音がリアルになっても。そこは超えられない壁。自分自身もキーボードを少し触れるくらいだから、一人だとすぐに限界がやってくる。
でも先日、音楽を作り出して何年か経つけれど、この年にしてようやく全パート生演奏という形の曲を作ることができたのは、自分の中では一つのマイルストーンだったように思う。世間一般的には、何も新しくも何ともないことなのだけど。自分にとって新しい音。この上なく楽しい作業でした。
素晴らしいプレイヤーの方々に多く助けられて形になったと思う。大感謝。DTMをやっていると、基本的には個人プレイだから、そういう楽しさを忘れてしまう。
ということで今月30日にリリースとなる、BUBBLE-B feat. Enjo-Gとしての初めてのアルバム「レジャーやくざは君に語りかける」に収録されている、セットでドリンクバーの、全パート生録によるセルフカバー「セットでドリンクバー プレミアム」です。
聞く時はただただ、楽しんで頂ければそれで幸いです。