去年10月、気仙沼の港の近くにある「復興屋台村 気仙沼横丁」で、「横丁ライジング」なるイベントを行った。
お陰様で大変盛り上がり、屋台村の方からも「是非また!」と感謝されて、とても嬉しいイベントであった。
音楽というのはいろんな表現が出来るものである。
津波で多くの人が亡くなって、家も流されたような地区でボランティアなライブをする時、これを読んでる貴方が音楽家なら、どんな音楽をやる?
バカ騒ぎな音楽をやって良いものか? もっとしんみりとした音楽が良いのではないか? 悲しんでいる人も多いだろうし…
などと考えてしまう。
バカなライブをやって「東京の人は被害がないから、脳天気でいいよね」みたいに言われたら傷つくじゃないか、と。
特にうちらみたいなちょいウザ系な音楽は。
地震も津波も仕方ない。誰も止められなかった自然災害だ。悲しいけど、乗り越えるしか無い。でも気仙沼に行って感じたのは、普通の生活の尊さと、それを取り戻すための人々の力強さだった。
そう、取り戻すのは日常そのもの。もっと言えば、今、それが日常で、少しずつ良くしていこうっていう。
去年の10月、初めて被災地に行って生で光景を見た時はこんなに大規模に壊れまくるものなのか…と衝撃を受けたけど、地震から2年間、地元の人達が毎日毎日少しずつ前進して日常を良くしていってるあの気持ちとかに触れて、「都会住まいの人間が被災地を初めて見た衝撃と悲しさから、しんみりとしてしまうようなライブを地元の人達に披露する」っていうのは、どうかな~とも思った。
思っていたより全然、現地の人は前向きで明るくてアッパーだった。
なら、ライブも普段のバカなままでいいんじゃないかと。(しんみりライブってやったことないけど)
力強く復興していくには、笑いとか、祭りとか、バカ騒ぎとか、発散みたいな、人間のエネルギーの発露が絶対必要なわけで、地震直後ならまだしも東北を立て直してる今は、そういうパワーって特に重要だなあと思う。
特に気仙沼横丁って場所は、娯楽の場所。美味しいものを食べて酒飲んでワイワイ馬鹿話で盛り上がれる場所だと思う。一度は流されて無くなった居酒屋達が、仮設とはいえ、あの場所に再度ギュッと集ってる。
もちろん、それで少しでも経済を回すってのが重要なのだけど。
地元の人達が口をそろえて言うのは、「とにかく美味い食べ物を用意してるから、是非食べに来て欲しい。ボランティアじゃなくてもただ来るだけでも大歓迎だから」と。
悲惨な光景と悲しみよりも、それを乗り越える明るさとパワーとテンション。逆にこちらがハッと気付かされる。
それが僕が感じた気仙沼の印象でした。
5月頃、再び気仙沼に行くことになると思います。
また盛り上がりましょう!