初めての物を買う、行ったことの無い所に行く…といった「初めての行動」には、かならず「敷居」を乗り越える必要がある。
【敷居】
1 門の内と外との仕切りとして敷く横木。また、部屋の境に敷く、引き戸・障子・ふすまなどを開けたてするための溝やレールのついた横木。
2 屋内や地上に敷いて座るござ・むしろの類。〈名義抄〉
これを話の喩えとして、中に入りづらいことを「敷居が高い」という風に使われている。本来は「不義理をしているから行きづらい」時に「敷居が高い」という言葉を使うことが正しいが、あえて解釈を広げて使うとする。
で、何をする時にも付いて来る「敷居」。それが高いと人はそこを乗り越えることを諦める。
食事をしに行く時も、吉野家とミシュラン三つ星とでは、敷居の高さは全く違う。(吉野家ごめんなさい)
車を買う時も、ダイハツとポルシェとでは、敷居の高さは全く違う。(ダイハツが悪いわけではございません…)
他、服を買う時も、旅行に行くときも、クラブイベントに行くときも、音楽を買う時も、飲みに行く時も、大学のサークルに入会する時も、全てにおいて「敷居」が存在し、「高い」「低い」と感じさせる要素がある。
このテキストだって長いし鬱陶しいから敷居が高いかも知れない。
人が感じる「敷居」とはこのような要素があるだろう。
■知識量の敷居
「そこに行くには、周りの人や店員さんに対して、自分の知識(や運動神経など)が足り無さ過ぎるかも…」というもの。
バーとか江戸前の寿司屋など、「行きたいけど知識、求められるマナーが足りて無さそうで難しい」という種類のものだ。
スターバックスが出来た時も、「トール」「グランデ」といった日本人には初めてのサイズ言葉に「注文が難しそうで」という知識的敷居の高さを与えた。
また、サッカー中継で盛り上がるスポーツバーなども、サッカーを全く知らない者からすると、知識的な敷居の高さは尋常ではないし、音楽だってクラシックやジャズの世界というのは知識的敷居が高いと思われることが多い。
普通のスポーツジムより極真空手に入門する方が敷居が高いのも、この種類だろう。
■社会的ステータスの敷居
ダイハツのディーラーには行けるけど、ポルシェのディーラーには入りにくい。ベンツやアウディも入りにくい。
ブランド物のショップにも入りにくい。そう感じるのは「自分で自覚している社会的ステータスとその場所が、不釣り合いだと思ってしまう」からだろう。多くの場合、自分は低い側となる。
社会的地位は服装に現れる。大概の場合、地位の低い者は、毛玉だらけのユニクロのフリースのような地位の低そうな服を着ており、余計にステータスの差を痛感するだろう。何も買わないとしてもだ。
「オシャレそうで入りにくい」と感じる時もこの種類だろう。
■人間の敷居
行こうとしている場に先にいる人達が全員知り合い同士で、自分だけがよそ者の場合に感じる敷居はこの種類である。
常連だけでひしめくバーなどにありがちな敷居だ。入り口のドアを開けた瞬間、全員の視線が一気にこちらに集まってくることが予想できる。「誰か来た!お前誰だ?」という視線だ。それは恐怖以外の何者でもない。
知らない内輪に飛び込む時は、その内輪のテンション、空気感、共通の笑いのセンスなど、様々な価値観を合わしていく必要があるため、なかなかリスキーである。
毎回同じ客が10人くらい来るだけの小さなクラブイベントより、ageHaなどでの2000人くらい来ているクラブイベントの方が匿名性を保てるので敷居が低いと言えるだろう。
全然知らない少人数のまったり空間に飛び込むには、この種の敷居を超える必要がある。
■地理的・時間的・金銭的敷居
単に「遠いから行きづらい」「高いから買わない」といった、時間と金があれば解決できるような、もっともつまらない敷居の種類。
おそらく敷居の種類とはこんな感じではないだろうか。
しかしながら、刺激だったり、面白さだったり、達成感だったり、新しい世界だったりといったものは、敷居を超えた先にあることがほとんどだ。敷居の低いものは面白さも無い。
誰もが欲しがる「これは素晴らしいものですよ」に対して、「しかし、ここにたどり着くのはそう簡単じゃないですよ」とあえて設定されたゲームのようなものが敷居であり、そこをクリアするからこそ自分だけの達成感を得ることが出来るのだ。10万円で中古車屋から買うベンツと、1000万円でディーラーから新車で買うベンツとでは、全然意味が違うということ。
常連だけで入りづらいバーも、入って溶け込めば、入る前より断然楽しい世界が拡がっているかも知れない。
とはいえ、金銭的敷居や知識的敷居は、それが無ければすぐには超えられないものだが、「自分が勝手に敷居だと思ってるだけのもの」や、「ただ腰が重いことを敷居がどうのと言い訳してるだけの状態」は、ちょっと努力すればすぐに超えられるのではないか。
本当は大した敷居なんて無くて、何となくそう思ってるだけ、という物は多い。
クラブは怖そうとか、オシャレそうとか、ジャズは難しいとか…etc
敷居の高さを感じたら、なぜそう思うのか?を冷静に考えてみると、そこにある敷居が「単なる自分のイメージや、腰の重さ」だけのものなのか、「実際に難易度が高い」のどちらかか分かると思うし、少々の敷居の高さなら簡単に超えるだけの行動力とエネルギーと気持ちの太さ、あと少々の経済力を持ち合わせたいところだな…と、思うわけであります。
そしてイベントやる側、音楽を売る側として、敷居が高い誤解を与えるのは嫌だなあ、とも。