学校でいじめが生まれる理由と、いじめられっ子の居場所について

学校でいじめが生まれる理由と、いじめられっ子の居場所について

中2自殺は「いじめが原因」 友人から「格下」に固定化

大津のいじめ問題で、いじめっ子側に3750万円の損害賠償というニュース。

大津市長の越さんは自分と同じ南郷中学の2個上の先輩で、越市長になる頃にこの問題が勃発したので、大変だっただろうと思う。

いじめられる側も地獄なら、いじめる側もまた地獄。
いくら賠償金を払ったところで死んだ命は戻らない

いじめは「いじり」から始まる

いじめた方はそんな多額の賠償金を支払って人生を棒に振るくらいなら、そもそもなぜ、いじめたのか?

それは、そもそも「いじり」であり、「いじめ」だと思ってないからだろう。

いじめられるような子は、大概、ボ~っとして、ひ弱そうで、運動ができないような子だったりする。
そういう子は、「みんなとは違う異物」と見なされる。

「みんなとは違う異物」がなぜいじられる対象になるのかというと、スポーツでのチームプレイで下手なプレイをしたりとか、ボ~っとしてるが故の独特の言動とか、そういう部分が「みんな」側から見れば目障りだからだろう。

目障りなものは取り除かねばならない。
みんなと同じでなければならない。
みんなが一丸となって頑張らなければならない。
同じ規範に沿わないといけない。
という括りが、「目障り」を目立たさせる。

例えば、体育のサッカーでそいつにパスが行くと、運動神経が悪いから、変なところに蹴ってしまい、すぐに相手チームに取られてしまう。
すると「あいつはチームの団結を乱す奴だ」となり、「目障り」となる。

スポーツに限らず、何かしら劣った部分というのは、全員同じことをしなければならない場所では「目障り」な存在になりやすい。
少なくとも日本はそういう雰囲気になりやすい国だと思う。

チームの団結を保つためには、目障りなやつには反省させなければならない。
それは、いじる側にとって正当な理由であり、いじること=良いことをしているという認識が「いじり」のスタート地点だろう。

そして、その「いじり」を第三者に見せると、いじられた側の滑稽な反応が「笑い」として返ってくる。
それは、いじった側からすると「ウケた」となる。
さらにウケるために「いじり」はエスカレートしていく。

最初は軽いイタズラだったものが、次第に悪質になり、暴力になる。
こいつを困らせればどんな反応するのか?
金だって巻き上げられるんじゃないのか?
それを見てみんなで笑おうじゃないか、みたいに。

ボ~っとしてる子は、怖くて力も無くて、それに反抗できない。
なすすべも無く絶望して自殺するのだろう。

いじめられた子には居場所が必要

いじめられたけど自殺をしなかった子というのは、たまたま自殺をしなかっただけにすぎない。

そして、そういう経験に遭った子は大概「大多数の他の子ら」と「自分」との間に一線を引き、自分の居場所にこもって生きていこうとする。そこしか生きていける場所が無いから。

そこにあるのが、ゲームとかアニメとか音楽とか漫画だったりのサブカルチャー。

そして創造的なものは、だいたいそういう子らが生む。
それは、自分の唯一の居場所で絵を描いてみたら初めて周りに認められたとか、音楽を演奏したら初めて認められたというのが原体験になり、その居場所の中でどんどん上達してき、やがて人を楽しませるだけのクオリティを持つようになる。

自分もどちらかと言えばそういう畑の出身だし、周囲で何かしらの表現活動をやってる人の話では、そういう子供時代を過ごした割合が高い

逆に、いじめっ子側から何か創造的なものが生まれてくることはほとんど無いだろう。
「目障り」認定され、一人教室で黙々と絵を描いてた子だけが、やがて人より上手に描けるようになるのだ。

なので、ゲームやアニメや音楽やコミックというのは「何の役にも立たない」と言う人がいるけど、そういう子らを救うためにとても必要なもの、だと思うのであります。