掘っ立て小屋が、居酒屋だった時の話

「この仕事、時給に直したら100円もあらへんわ」

無精髭を雑に蓄えた大将はそう言って、ビールを注いだ。

あれは京都に住んでいた頃の話。
自宅から徒歩2分くらいの、大きな道路に面したところに、廃墟同然のみすぼらしい掘っ立て小屋があった。

ある日、その小屋が突如として居酒屋に変貌した。
とはいえ看板もなく、店の名前も分からない。廃墟のような謎の店構えのままで、どんなメニューがあるのかも分からない。

勇気を出して入店したところ、中にいたのは無口でぶっきらぼうな感じの大将。
「……。」
ずっと無言。どうすりゃいいのだ。

座ってよいかと聞いたら「はいよ。」と一言。座った椅子はグラグラして、不安定だった。

一応メニュー表があった。ビール450円、日本酒500円、ポテトサラダ400円。高いわけでもないが、安いわけでもない。
近くにはビールを250円で出す綺麗な立ち飲み店があり、そこに足繁く通っていた自分には、意味不明な掘っ立て小屋でビールが450円もするのは「高い」という部類に入るが、お初ということもあってビールをオーダー。

カウンターには汚れたツナギ姿、頭にタオルというオヤジが座っており、一人で喋り続けている。
京都の水道管がどうした、あそこの工事がどうした…という話を大将に向かって延々としており、全く興味のない大将は適当に返事をするだけ。大将の返事がないと「おい!聞いてんのか!」と怒鳴る。

うわ、鬱陶しい…

そんな客をよそ目に、大将は僕に言った。
「ポテトサラダ、うちのおすすめなんで」

そう言われりゃと、ポテサラをオーダーしてみた。
雑にドカッと盛られたポテサラは、業務スーパーで買ってきたものがそのまま出てきたという感じで、どの辺がおすすめなのかは分からない。
ポテサラを食べ終わってもまだ水道管の話を喋り続けるオヤジが鬱陶しかったので、店を出た。

それから何度か夜に店の前を通ったが、いつ見ても水道管オヤジが座っており、入店するのをためらう日々が続いた。

ある日の夜、水道管オヤジがいなかったので、久々に入店した。
なんだか店内が賑わっているし、所々に飾り物なども増えている。

この頃の京都はインバウンド特需に沸いており、その居酒屋は京都駅から近いというロケーションもあってか、その日は外国人客が多かった。
金閣寺などのトラディショナルな京都観光を楽しんだ彼らにとって、こんなストリート感溢れるジャパニーズ・バーというのは驚きだったのだろう。「こういう店に行きたかった」とばかりに吸い寄せられるように来る外国人達。

モヒートをオーダーして飲んでいたら、隣のテーブル(といっても、ビールケースの上に汚い板が1枚)に座っていた若い外国人女性3人が、なにやら盛り上がっている。

割と美人な3人は、日本酒を飲んで盛り上がってる。しかも英語じゃない。何語だろう。
どこから来たの?と聞いてみると、ドイツだという。日本はこれが2回目なんだって。
年齢はみんな20代だった。いいね、若いうちの海外旅行。

3人して雑なチキン南蛮と適当な白身フライをバクバク食べていたので、美味いか?聞いたら「美味い」という。ほんとかよ。

そのうちの一人に、ドイツのどこに住んでるの?と聞いたら「ベルリン」だと。
ベルリンって発音、カタカナ読みでは全く通じなかった。通じるためには「ベアリーン」と言うべし。

いろいろと話を聞いた。
「小さい頃はベルリンから自由に外に出たり出来なかった」と言っていたり。
「little bitって日本語で何ていうの?」と聞かれたので、「ちょっと だよ」と言ったら、3人して「ちょっと」「ちょっと」と真似してておかしい。ザ・たっちかよ。

奥の方に座っていた外国人男性が急に流ちょうな英語を話してきて会話に加わってきたので、何者?と思ったが、この人も旅行者で、フィリピン人で今オーストラリアに住んでるのだという。
ドイツ人とフィリピン人がオーストラリアの話で盛り上がり、ドイツ人が日本酒を飲み、日本人がモヒートを飲む。わけが分からない。

ドイツといえばビールだよなと思い、「ビールは飲まないの?」と聞いたら、「毎日飲んでるから、わざわざ京都に来てまで飲まないわ。日本には日本酒があって最高」だって。

壁に各国のお札がピン止めしてあるのを見て、「これはあそこだ、これはあそこだ」と盛り上がってるドイツの3人。5ユーロを見つけて「これ使ってるやつ」という。「5ユーロは日本円で700円くらい?」と言ってて、そうだよと。日本の万札を見せたら「日本のお札はホント綺麗… 印刷がすごい」と感心していた。

何やら車の話になり、ぽっちゃり気味の子が「私シトロエン乗ってる」と言ったので、俺も乗ってるよ、シトロエンのDS3乗ってるよと話したら猛烈に盛り上がる。「日本でも売ってるなんて!」と驚かれる。トヨタとか最高の車がある自動車大国で、わざわざフランスの車なんか乗ってんだ?と思うよな。隣のメガネの子はBMWだという。BMWは彼女らのごく普通の国産車なのだ。

何ならこれを見せたら喜ぶのではないかと思って、「走りのセダン」のYouTube見せてみた。
そしたらテンションが爆上がりする3人。途中の「ベンツ」「BMW」「アウディ」の所で大喜び。あのノリがドイツに通じた瞬間だ。

しかし本当に美味そうに日本酒を飲む。何杯おかわりしてるんだというくらい、延々と飲んでる。
グラスから溢れた酒の受け皿の最後の1滴まで飲んだ後、指に付いた酒まで指を口の中に入れて「スポッ」という感じで舐めきる。ドイツの酒飲みは半端ない。

そしてひとしきり日本酒を飲んで、ひとしきり笑った彼女らは「明日8時起きで伏見稲荷に行くから、そろそろ帰るよ、ありがとー」と言って、ゲストハウスに帰って行った。
楽しくて良い夜だった。

その時のモヒートがこれ

また別の日には、ゴスペルシンガーだという黒人女性が飲みに来ていた。
その彼女はやたらファンキーで、明るくノリの良い飲みっぷりに、周りの客も盛り上がってきたのか、「じゃあ1曲歌うわよ!」ということになった。

彼女は歩道に出て、「Ahhhhh~~」と歌い出した。

さすがの声量、安定した音程とビブラート。一気に周りを感動させる〝本物〟のパワーがそこにあった。
店にいた全員、彼女の歌に釘付けになっていた。
1曲終わるごとに盛大な拍手。凄い、凄い、と。ゴスペルってこんなに凄いんだと全員が感動していた。

彼女も気を良くして2曲、3曲と歌い始めた。やがて居酒屋の客だけではなく、通りすがりの人も立ち止まり、彼女の歌を聴いた。いつしか大勢の人が集まり、輪のようになっていた。京都の街中で、夜9時のことだ。
さすがにそんな時間、歩道でゴスペルはまずかったのか警察が来て、歌は終わりになったけど、この日の夜は伝説を見た思いだった。

その後、次第に休業日が増えていった。

当初は「機器不調のため本日休業」や「体調不良のため本日休業」といった札が掛けられていたが、その後は何も札を出さないまま閉まった日が続き、いつの間にか元の掘っ立て小屋の廃墟に戻った。
コロナ禍になり、外国人もいなくなった。

その掘っ立て小屋は、今でも同じ場所にある。
前を通る度に、楽しくてちょっと危なっかしかった京都時代のカオスな思い出を思い出す。