大津の街の中心部に、異様な存在感で長年鎮座し続ける西武百貨店といえば、全ての大津っ子の羨望。
ここに行けばオシャレがある。ここに行けば都会がある。ここに行けばグルメがある。
ずっとそういう場所だった。
自分が子供の頃から、ここには少し特別な日に行く。
いわばハレの場所だった。
チケットぴあもここにあって、並んで買いに行ったりしてたなあ。
大津市民なら、普段は平和堂、ちょっと豪華にキメたい時は西武。
そういう棲み分けのはず。
なんといってもこの建物。
両側に配置された非常階段の異様さ。
そして階段のように配置されたテラス。
この階段の多さは、建設された当時は多くのビル火災(千日前デパート火災とかね)があって、非常階段をたくさん設置するという世相だったという。
それをデザインの一部に取り込んで、こんな異様な外観に。
いわば、デザイナーズ非常階段。
本当に非常時のもので、普段は使えない。本当に飾りっぽい。
非常時は一度も訪れなかった。
いやあ、すごいね。
大津市の2大階段といえば、立木観音の階段と、西武大津の非常階段でしょ。
反対側もこのように。
広いテラスでは、最初のコンセプトでは色んな催し物をするってのがあったみたい。
でも全然使われなかった。
最後の月ということで、サンクスセールなるバーゲンが行われていた。
中はちゃんと「百貨店」してる。
なぜ大津に西武なのかと言うと、「西武グループ」の創業者、故・堤康次郎氏(1889~1964年)の出身地が大津ということもあるみたい。
隣りにパルコができて、つい最近までは西武&パルコがこの街のトレンドセッターだったのも、堤氏の肝いりだったから。
あとからできたパルコが先になくなってOh!Meになり、元祖の西武もなくなって跡地には多分マンション。
寂しくなるね。
箱根や伊豆で開発戦争を繰り広げた東急の五島慶太は強盗慶太、西武の堤康次郎はピストル堤。
そんな昭和は遠くなりにけり。
西武なのでロフトも、無印良品も、もちろん入ってる。
80年代、90年代の中頃までかな、ここのエレベーターにはエレベーターガールが常駐していた。
西武百貨店大津といえば、6階のこの催事場ね。
格好いい空間。
このピラミッドみたいなのは、昔は鳥が飼われていて、中には滝みたいに水が滴り落ちるギミックがあった。
それ、覚えてるし。
ロフトではセール中。いろいろ安い。
で、今こんなパネル展示やってる。
西武百貨店大津店の歴史展。
ああ、こういうの好き。
創業当時の西武百貨店大津店。周りに何もないところに、すごい存在感だったのだろうな。
これが現在の様子。
西武自体はあんまり大きくは変わってないけど、周りが変わった。
特に右隣、昔からずっと「アヤハ」。
イオンになった今も、アヤハ。大津と言えばアヤハだよね。
44年間あまり変わってない外観。
これも今月で最後。
「視覚」って言葉が入ってるのが面白い、非常用階段の説明。
膳所駅からの西武百貨店。この感じ、いい。
ときめき坂を歩いて行けば、そこは百貨店。
1971年のオープン日のにぎわい。すごい。
銀座の歩行者天国のようなカルチャーが滋賀に来た、みたいなものかなあ。
エレベーターホールもおしゃれ。
うっとりする、階段。
西武百貨店がオープンするという新聞広告のこれ、話題になったんだって。
すごい。
「6月某日、びわ湖に出るぞ。」という文字だけで、ネッシーらしき何かの写真。
今のパルコの広告にも通じるセゾングループらしいアバンギャルドな広告センスが爆発。
I shall return きっとまた、私はびわ湖に来てしまう。
何言うとんねん!
思い出グッズも。
窓からはびわ湖ビュー。
そんな西武大津店。
今月で44年の歴史に幕を閉じる。
この建物も古いので取り壊されるのでしょう。
記憶にはもちろん、最後の姿をブログにも残した。
お別れは惜しい。行くなら今かな。