「タイミーから来ました」と言ったことのある人生を選べ
チェーン店トラベラーなんて自称して全国の飲食チェーン店を巡り、本を書いたりメディアに出たりと、「食べる側」としてこれ以上ないほど楽しく活動させていただいている。
しかし、これまで一度たりとも「提供する側」に回ったことが無かった。
学生時代にやったアルバイトはベアリング工場、家電量販店、ブックオフ、パソコンスクールの講師。
そしてそのままIT系の会社員になり、20年間の会社勤め。
「いつか飲食で働いてみたい」と思っていたが副業は許されず、月日だけが経っていった。
2020年から個人事業主となって自由に働けるようになったが、いざその立場になると、飲食のアルバイトは何だか腰が引ける。どうせ未経験だしな…と考えてしまい、気が重い。なんなんだ。
しかし去年の末、ついに飲食仕事デビューの夢を果たした。
スキマバイトのタイミーからの就労である。
我こそはプロの未経験者。皿の1枚も洗ったことがなければ、「いらっしゃいませ」の一言も言ったことがない。
そんなやつでも許してもらえるよう、「未経験歓迎」のアイコンである若葉マークのついた案件のみを探した。
そうして見つけた某サービスエリアのレストランのホール仕事。
ギリギリまで悩み、震える手で「応募」ボタンをタップ。すんなりマッチング完了。
変な声が出たのを覚えている。
持ち物に「汚れても良い黒い靴」とあったので、ワークマンで黒のコックシューズを購入。2500円。
そして当日を迎えた。
かなり緊張したまま2階の事務所に行き、最初に言うのはこの呪文
「タイミーから来ました」
うわぁ、言ってしまった。
おっかなびっくりにヒヤリハット。
まさか自分がこの言葉を発するとは!
妙な興奮をよそに、
「はいどうもお疲れ様です!ではそこのQRコードでチェックインしてくださいね」
と、〝タイミーさん扱い〟に慣れた社員の方がガイドしてくれた。
ロッカーに荷物を預けてフロアに行き、名札を付けてサロンを巻く。
紛れもない「レストランの店員さん」である。
この日以来、私は「タイミーから来たことのある側の人生」になったのだ。
48歳の手習い
お客様が来たら「いらっしゃいませ」と言い、お席にご案内する。
お冷やをお持ちし、ご注文が決まったら再度呼んでもらうように伝える。
ご注文が決まったらハンディ端末を持ってオーダーテイクしにいく。
ハンディ端末の送信ボタンを押して厨房にオーダーを伝える。
調理が完了したらそれをお客様のテーブルまで運ぶ。
お水が減ったら注ぎに行く。
お客様がお帰りになったら食器類をバッシングする。
テーブルをアルコール消毒し、ダスターで拭いてテーブルセット。
これまで何千回もお客さんの立場で経験したこれが、今日は逆。自分が店員さんの立場である。うおお!?
この新鮮さ、驚きと喜び。見える景色、もとい見なければならない景色が全然違う!
フロア全体を常に見て、すぐに気がつかないといけない緊張感!
老眼が邪魔してハンディの文字が見辛かったが、3時間のデビュー戦はなんとか事故なく終了。
近年感じたことの無いレベルの達成感を得た。まさに48歳の手習い。
オフシーズンでそんなに忙しくなかったことも、仕事を習うのにちょうど良かったかも知れない。
未経験者だった私に、ホール業務の初歩の初歩を親切に教えてくれた社員さんに感謝。
たった3時間だが、これで「飲食未経験」では無くなったのである。
洗い場をなめるな
飲食の仕事は、大まかに「ホール」か「キッチン」で分かれる。
スキマバイトの場合、キッチンは「洗い場」がメインで、少し「調理補助」が入ることもある感じだ。
今度はキッチンに入って洗い場やってやるぜ、と再びサービスエリアの案件に応募。
「タイミーから来ました」
早くも2度目の呪文を唱えた。
「今度は洗い場なんですね」と、使い捨てのビニール製エプロンとキャップをいただき、立派な厨房設備の奥にある洗い場に行く。スゲェ規模だ。
しかし、皿を洗うことなんて家でも大してやってない。
食洗機なんか触ったこともないというズブの素人である。
そんな私に対し、洗い方、食洗機の使い方、洗った後の食器の片付けなど、初老の調理師さんがかなり親切に教えてくれた。何だかこの時点でとても嬉しい。
ぼちぼちとお皿類が返却され、洗い場業務が始まる。
ご飯がこびり付いたものや、油でギットギトの皿もある。
そういうのは一度洗ってから食洗機へ。
乾いたら、何種類もある食器類を所定の位置に返していく。
洗い場とはこの繰り返しだ。
初めて使う業務用の食洗機。
こいつはただの「すすぎマシーン」ではなく、ほとんどの汚れを高圧&高熱の水と特殊な洗剤で落としきるのだ。
まずその性能に驚く私。
来た皿を来た順に洗っていたが、やがて、その不効率さ、仕事の遅さに気付く。
大した量の皿じゃないのに、何だかどんどん溜まっていく。
微妙に洗い物を残したまま、時間が来て終わり。不完全燃焼もいいとこだ。
「後はやっておきますから~」
と女性の調理師が洗い場に入った瞬間、私の3倍くらいのスピードで猛烈に効率良く片付けていくではないか。
これが熟練の技である。
私は少し打ちひしがれて帰宅した。
洗い場王に俺はなる
どうすれば洗い場の仕事が上達するのか。
上手い人と下手な人では、何が違うのか。
今まで考えたこともなかったが、私の興味と関心は「洗い場」にロックオンした。
世間では有名人の女性スキャンダルで大盛り上がりの中、私はYouTubeで「洗い場 プロ」などの単語で繰り返し検索していた。
優先順位を付ける、移動を最小限にするために皿をまとめる、予洗いが必要な皿とそうでない皿を把握する、シンクに湯をためるが濁ってきたら一旦抜きまた溜めるを繰り返す。
よし、ちょっとは頭で分かった気がするのでリベンジしてやろうと、タイミーで再度洗い場案件にエントリー。
今度はローカルな回転寿司店だ。
「タイミーから来ました」
この呪文を唱えるだけで、みんなが私を優しく迎えてくれる。
光り輝く道が開け、その先に桃源郷という名の労働が待っている。
今度の店は寿司屋らしく上下ビシッと白衣を着て和帽子を被る。板前さんになったようで格好いい。
やっぱり馬子にも衣装。形から入るというのは正しいセオリーかも知れない。
回転寿司の洗い場は想像以上にハードコアだった。
分かってはいたが、とにかく皿の枚数が多い。
考えてみてほしい。回転寿司に行ったら何皿食う?
湯飲みから始まって、醤油皿、ガリをのせる用の醤油皿、寿司皿 x 10枚、穴子用の長い皿、5貫盛り用のデカい皿、茶碗蒸し、茶碗蒸しの台、茶碗蒸しの蓋、デザートの器、箸、茶碗蒸し用のスプーン、お子様用のフォーク…
前回のレストランとは比にならない数量の皿が次々と運ばれてくる。試練であり修行のようだ。
YouTubeで見た洗い場チュートリアル動画を思い出し、自分の考え得る最大のスピードと効率で洗っていくしかない。楽しくて仕方がない。
途中、厨房器具も次々と運ばれてくる。
バット類やホテルパン類は何個も来るし、まな板に包丁、終盤にはシャリマシーンのパーツがまとまってやってくる。
包丁がめっちゃ鋭い!シャリマシーンってこうなってるんだ!と感慨にふけっている場合ではない。
ピーク時の真ん中でタイミーの時間が終わるような案件なので、ドッサリと残して終了。
これでいいのかよ… もう少し何とかしたいなと思いながら帰宅。
しかし「回転寿司の仕事ができた」こと、それが何よりも幸せ。
上半身を激しく動かしたようで、翌日はガッツリと筋肉痛。皿洗いはスポーツだ。
フードコートの人気店に立つ
巨大ショッピングモールのフードコートに行き、呪文を唱えた。
「タイミーから来ました」
今度は名の知れたラーメン店である。まさか自分がラーメン店に入るとは。
そしてもう未経験者じゃない。洗い場だって何度も入ってきたのだ。
独特のユニフォームに着替えてフードコートの厨房に入る。
人生で初めて入ったフードコートの厨房。見える景色が全然違う。
業務説明を受けて、10時半から業務開始。
最初はスローペースで、今日は余裕かな?と高をくくっていたが、11時半から爆裂タイム開始。
返却口に来るわ来るわのラーメンどんぶり。
残りを捨ててひたすらシンクに浸けていくが、どんぶりがデカいのですぐにいっぱいになる。
なるほど、そういう大変さか。
すごいペースで返却口に戻されるどんぶり。それをビシバシと洗っていく私。完全ノンストップ。
考えられないほどハードコア。休日のフードコートの人気店、まさに戦場である。
それでも返却口に来るお客様全員に「ありがとうございました!」と必ず返す。(言ってくださいと言われてないけど)
無言でドライになりがちなフードコートで、中からお礼言われたら嬉しくない? 私は嬉しいからお礼を言う。
お客様からは、
「おいしかったです!」
って次々に言われる。いや~すごい商品力だ。めちゃくちゃ楽しい。
15時まで爆裂に忙しく、それでも溜めないようにビシバシと片してたら、「是非また来て下さいね!」と途中で褒められた。たとえお世辞でも嬉しい、48歳の手習い。
東京でうどん屋さんになってみた
本業での東京出張ついでに、1日を費やして都内のフードコートにあるうどん屋さんにエントリーしてみた。
またもや洗い場である。
「タイミーから来ました」
いつもの呪文を唱えると白衣姿のスタッフが出てきて、早速お着替え。
ここは更衣室などがないので客席の隅で着替える。
和帽子のサイズが一番デカいのでもキツキツ。ファッキン俺の頭のサイズ。
スタートは13時半と、昼のピーク時ど真ん中。スタッフさんみんなバリバリ手際よく動いている。私への説明もなされ、いきなり洗い場業務をバトンタッチ!
ピーキーな昼時だけど、それは前回のラーメン店や回転寿司店の方が激しく、なんとかついていける。
洗い場王に俺はなる。
うどん屋ってうどんだけ作ってるわけではなく、カレーを煮込み、天ぷらを揚げ、カツ丼や親子丼も作る。
しかもこのお店は伝統的に麺は店内で粉から作ってらっしゃる。
そういうこともあり、油や小麦粉でギットギトの鍋やバット類がバカスカやってくる。
グラディウスの中ボスが登場するような感覚。
特にカレーと天ぷら衣用のやつはなかなかしつこいこびり付きで、洗い甲斐もバッチリだ。
日によると思うがこの日のピークは昼のみで、夕方からは掃除と翌日の仕込みタイム。
ここでうどんの生地に使う食塩水作りを手伝わせてもらった。
フードコートのうどん屋っていうと、出来合いのやつを温めてるだけでしょ?とか思ってるでしょ?
ここは全然違った。私がどんぶりを洗ってる真後ろで、粉から食塩水を混ぜて生地を作り、寝かせてから麺にして…というのをしっかりやっているのだ。その他何から何まで手作業ばっかりで。
例えば親子丼やカツ丼って湯煎の出来合いを温めるだけのお店もいっぱいあると思うけど、ここは全部素材から手作りのガチ。調理人の方々もベテランな方々ばかりで、全ての手作業があざやか。
普段は寡黙だけど、喋ると「べらんめぇ!」と言いそうな江戸っ子なおじさんが、オーダーに合わせてテキパキとうどんを完成させていく。本当に格好いい。
あっという間に4時間半が終わり、お礼を言われてチェックアウト。
着替え終わり、せっかくだからうどん1杯食べていこうと、「肉うどん」をオーダー。
そしたら寡黙だけど江戸っ子なおじさんがちょっとニヤリとした気がした。え、何?
お会計に行くと、少し若い店員の男の子が「あっ、お会計いいっす!食べてください!」と言ってくれた。
まさかのまかない! 嬉しすぎる。
目の前にある「肉うどん」。これを作る現場での労働を終えて食べる肉うどん、もうめちゃくちゃ美味いの。
でも、ちょっと肉多すぎない?
麺の上だけでなく、麺の下に厚揚げが隠され、その下からもまた肉が出てきたではないか!
麺より肉のほうが多い、通常の3倍くらいの肉が入ったヤバいコッテリ肉うどん。これは一体どういうこと?
返却口にトレイとどんぶりを返しに行ったら、さっきの寡黙だけど江戸っ子なおじさんが笑っていた。やられた!
お台場でほっこり、そしてコッテリ。うどんをもって感謝された金曜日の夜だった。
「いつかはやってみたい仕事」をやるならば
そんな具合で、これまでやってこなかった飲食業をこの年でバチバチと体験している。
繁忙店で4時間動きっぱなしで、その度に筋肉痛になったりしているが、こんな楽しいことはない。
色々なチェーン店、色々な飲食店を巡ったが、それらは皆、考え抜かれたルーティーンやチームワークで回っていた。
毎日大量に料理を作るのに、その一つを食べた人から「美味しかった!」なんて言われることが、どれだけ凄いことか。
時間が来たら店を片付けて掃除をし、しっかりと売上げや利益を確保し、スタッフに給料を支払い、食材を発注し、その他色んなものに投資し、そしてまた日常の中で回っていく世界である。
グルメというのは口コミサイトで高得点の店に行くことだけではない。
市井のグルメ、毎日の食事。ハレではなくケの食事。駅前の立ち食いそばで、サッと過ごすこともあるだろう。
それらは電気やガスや水道、インターネットや電話、交通機関や高速道路と等しい「街のインフラ」である。
恒常的にあることが当たり前とされ、積極的には選ばれないかも知れないが、無くなったら誰もが困るし悲しむ存在である。
短時間のスキマバイトではあるが、飲食店を愛する自分が少しでもその輪に加わり、街を回せたのが嬉しい。
もともとファンだったお店で働いて、ますますファンになってしまう。
「そんな高いモチベーションでタイミーやってる人、あまりいないよ」
と言われることもあるが、これでいいのだ。
私は社会人になってからずっとデジタル系の仕事で、椅子に座ってパソコンを触り続けてきた。
それは自分が望んだ道だからそれでいい。
だからこそ、筋肉痛になるほど動き続けて、お客様から「美味しかった!」と言われる仕事に刺激を感じる。
AIには絶対取られない仕事ではないだろうか。
いつの間にかタイミー歴も10回以上。洗い場の数もこなしてきて、当初より腕が上がった実感がある。
「手に職を付ける」なんてまだまだ遠いけど、この感じは悪くない。
というか、めちゃくちゃ奥が深い。
筋肉痛にもならなくなり、ウエストも若干引き締まったのか、ズボンが緩くなった。
お金をもらって痩せる画期的なダイエットである。
まさに大人の職業体験。キッザニアならぬ、オッサニア。
世界が少し拡がった気がした。スキマバイト侮るなかれ。