会社を辞めてから1年たった

退職してから今日でちょうど1年

会社員として毎日渋谷の会社に勤めていたが、そんな生活が終わったのがちょうど1年前の今日。
11月29日が最終出社日だった。

「会社を辞めたらどうなってしまうのか」

新卒から20年も会社員をしてきたせいで、会社員以外の人生がイメージできない。
会社をやめたらお金が無くなって即死するに決まってる。

そんなことばかりを考えて、何ヶ月も熟考に熟考を重ねて決断した。

あれから1年。
幸運にも健康に生きているので、ちょっと振り返ってみたい。

地方在住&リモートワークをちょっとお先に始めた

会社員時代は川崎市に住み、毎日超満員の田園都市線にのって渋谷に通っていた。

数年前に転勤があった都合で、借り上げ社宅という形で賃貸マンションに住んでいた。
だから退職するタイミングで引き払う必要があり、12月20日の退職日に向けて引越の準備をしていった。

何のツテもアテもないフリーランスになるので、とにかく固定費をグッと下げる必要を感じた。
だから都内に引っ越すのではなく、滋賀にUターンすることにした。

実家なので家賃ゼロ、駐車場代ゼロ。

ド田舎。めちゃくちゃ静か。自然がいっぱい。

ここなら小さく何かを初めても、とりあえず大丈夫そう。必要があればその都度上京しよう…
みたいなヨチヨチした感じで、アラフォー男性の個人事業主がスタート。

そして運良く、執筆の仕事や、PRの仕事と巡り会えた。本当にありがたい。
仕事はチャットかZoomなどを使って進めた。コロナ禍が来る前だった。

どうやって仕事と巡り会うのか

会社員からフリーランスになろうとしている人にとって、最大の懸念はこれだと思う。
何もしてないのに仕事が降ってくる、なんてことはなかなか起こらない。

できるだけたくさんの人に会い、できるだけたくさんアウトプットをして、巡り会うことだと思う。
それには結構長い時間を要する。

自分がやってきたことや得意なこと・できることを伝わるようにして、やっと巡り会えるのだろう。

ちなみに去年の6月、出雲大社に行った。
当時から会社を辞めようと思っていたので、縁結びの神様に、仕事との縁を下さいと願掛けをしたのだった。出雲大社にも感謝しないと。

コロナで社会がこんなに混乱するとは

中国の武漢で発生したコロナウイルス、最初は他山の石だったがいつの間にか日本でもグングン増えて、3月頃にはかなりヤバイ状況になった。
始まったばかりの仕事もストップしたり滞ったりと、どうしようもない感じになった。想定外にも程があった。

4月には多くの企業がリモートワークを始めだして、みんなが自宅にいるという不思議な状況に。
みんなと言っても都市部のデスクワークの人だけだけど。

夏頃には収束すると言われてたから信じてたのに、12月になろうとする今でも激しくコロナ禍で、今年は何もかもコロナに振り回されている。

果たして、会社員である時にこんな状況になってたら、退職の決断をしただろうか。
「会社にしがみついた方が得策だ」の想いがぐっと強まったのではないか。

今、幸運にもお仕事を頂き、ストレスなく健康に生きているので、コロナがどうとか関係無く、自分の選択は必然だったと思う。なんせ、めちゃくちゃ体調が良くなった。

やっていきます宣言

諸事情によりこのタイミングになったが、先日ようやく、開業届を提出した。
これで大津市税務署登録の個人事業主になった。

屋号は「SPEEDKING PRODUCTIONS」である。
レーベル名をそのまま屋号にした。
ちょっと長いが。

プロフィールページも個人事業主仕様に作り替えた。

いずれコーポレート(的)サイトも作るつもり。

何をやっている人か分からないような僕みたいな存在は、何をやっているのか、何ができるのかをまとめておくと、名刺代わりになる。

この1年に点数を付けると?

会社員をやめたら即死すると思っていたので、当初の予想点数は0点だ。
それに比べると、トータルの収入は減ったながらも、何だかんだとお仕事を頂けているのは、上出来。
むしろ、奇跡。本当に恵まれている。

でも点数にすると、30点くらい。
これは仕事の質が低かったということではなく、まだまだ自分のリソースに余力があるという意味で。

というわけで、一緒にお仕事したいです。
SPEEDKING PRODUCTIONSとして、〝盛り上げを加速〟していきましょう。
ご連絡お待ちしております。