2005年の愛知万博に行ったときのこと。
世界各国が思い思いのパビリオンを出展し、その国の文化を紹介していた。
どこの国だったかは忘れたけど、アジアか中東かの国が「くつろぎ先進国」と銘打っていて、順路にある窓枠みたいな所から中を見ると、ソファーとか絨毯の上でゴロゴロと寝転がってる人がいるだけではないか。
くつろぎ先進国。
その展示は、ゴロゴロしてること!?
先進国がハイテクを競う中、その逆張り具合に衝撃を受けてしまった。
その国では、「ヒマ=尊い」が確立されているのだ。
どんなにあくせくと働くよりもゴロゴロ寝転がってる方が幸せだろ、うちの国はとっくに実現してるぜ? ってなものである。
(こういうことがあるから、万博は奥が深い)
日本では、「忙しい」ことが「素晴らしいこと」だとされている。
「忙しい、忙しい」と言っている人を見ると、「頑張っているな」と労いの言葉をかけたくなるものだ。
そして「忙しい」人は、「人からたくさん仕事を頼まれている」、「仕事が集まる人」と思われがちだ。
言い換えれば「自分には能力があるから仕事が集まるんです」というアピールをしているのと同じだ。
だから癖のように「忙しい」と言ってしまう。
言えば言うほど、自分の株が上がるような気になるのだ。
でも、忙しいとは心を亡くすという漢字の通り、自分を省みる時間、家族に接する時間、自己研鑽の時間、娯楽を楽しむ時間、健康維持の時間など、人生を充実させるための時間が無い状態で、まさに心が亡くなることである。
なので、本当に充実した状態とは、ヒマで時間に余裕があり、人生を充実させるために時間を割けて、さらには忙しい人と同じかそれ以上の収入がある状態のことを言う。
ヒマリッチとはよく言ったものだ。
能力のある人は、仕事が早く、無駄がない。そもそも必要のない仕事をしない。
効率化を常に考えているので、前任者が2日かかった仕事を、プログラミングやスクリプト、オートメーションなどを駆使したりして30分で片付けたりする。
だから能力のある人は「忙しい」などと言わない。
言うと自分が効率よく仕事をする能力が無く、時間管理も甘い人だと思われるのが嫌だから。
昔、とある職場に、「忙しい」が口癖の人がいた。
その人は毎日残業をして、土日も出社していると言っていた。
毎日残業で土日も出社しているくらいだから、忙しいのだろう。
ただし、何の仕事をしているか、誰も知らない。
「あの人は忙しいらしく、頑張ってるみたいだ」
土日も出社しているというだけで、周囲はそのように思っていた。
その人は、取引先に出す月次のレポートを作っていた。
実体を見て愕然としたのだが、その中の集計表のエクセルを開いて、一つ一つのセルに入れる数字を、電卓を使って足し算をしたり平均値を出したりして、なんと集計結果を手でエクセル表に書き込んでいたのだ。
「なんでエクセルの関数を使わないんですか?」
と聞いたら
「この方が頭に入るだろ! お前も電卓を使え」
と言ってくる。
これ以上の不効率はない。休日、会社に来て電卓を叩いている間にも、ずっと給料が加算され続けるのだ。
しかし、周りはこの人がどんな仕事をしているか知らない。
「土日も出て頑張ってる人」という「頑張り屋さん」という評価を得て、高給取りに出世した。
あれ以来、「忙しい」という言葉を発する人は、全く信用できなくなった。
ダメな人だけが多用する言葉だ。
くつろぎ後進国の日本。
「忙しい」という言葉の地位がもっと下がって、「ヒマ」という言葉の地位がもっと上がる方が、いいんじゃないのかな。
なんとなく「ヒマです」と言うと、ダメな人、仕事が無い人のようなネガティブイメージがある。
例えヒマでも「ぼちぼち忙しい」なんて嘘をついて、相手との関係を取り持つような風習は、滅びて欲しい。
ヒマは尊い。くつろぎ先進国こそ本物の先進国だ。