「ギャンブルもしない男は、つまらん男だぞ」
とは、大学時代にバイトしていたブックオフの店長・田嶋の名言。酒に酔ったら必ず言った。
皆さん、ギャンブルしてますか。ギャンブルもしない、つまらん男になってませんか?
僕はもう、つまらん男で大結構。ごめんよ、田嶋店長! こんなつまらん男がバイトしてて。
あれからン年経ったが、僕は相変わらずつまらぬ男のままだ。
競馬やらない。
競艇やらない。
競輪やらない。
オートレースやらない。
パチンコやらない。
麻雀やらない。
株やらない。
FXやらない。
宝くじ買わない。
ロト6買わない。
toto買わない。
超つまらぬ男となってしまった。ごめんよ田嶋。ごめんよ涙。
でも、(例外あるが)確率として損する確率の方が多いものを、なぜやるのか? もっと効率的に金を稼ぐ方法など、いくらでもあるだろう。
…というツッコミは「無粋」なのだと、最近少し分かってきた。プロレスを見て「あれはヤラセだろ」と言うのと同じくらい無粋だと。
このン年の間に、さまざまな人と出会った。さまざまな分野のプロがいた。
僕が出会った彼らのように、ギャンブルに本気で取りかかる人は、自分のやっている事をギャンブルだとは微塵とも思っていなかった。
広義でのギャンブルは上記リストになるが、狭義のギャンブルは「さいころを振って出た目に金かける」完全にランダムな要素のことを言う。
それぞれにどういう勝ちパターンや勝ちロジックがあるのか、詳しくは知らないが、とにかく上記全ては「ギャンブルではなくなる」のだ。
それは、ギャンブルをやらない人間には一生分からない世界だ。
ある競馬好きの同僚がいた。
彼は、競馬はギャンブルじゃない、と言っていた。勝つにはロジックがあるのだと。だから毎日、競馬ブックだのエイトだのという競馬新聞に目を通し、色鉛筆で馬にチェックを入れるのだ。ソフトウエア工学にも精通していた彼は、自作の競馬予想ソフトをVisual Basicで作り、自分で利用していた。勝率は7割だという。ギャンブルではないのだ。
では、負けた時に彼はどう言ったか。
「負ける時もある。でも、競馬場という場所の雰囲気はいいし、芝は綺麗だし、パドックで間近で見る競走馬のたてがみは綺麗なものなんだ。それに対して支払う金、いわば入場料のようなものなんだよ。」
そう、競馬はギャンブルではないのだ。
でも僕は彼の話を聞けば聞くほど、勝ちパターンが見えなくなっていった。これは、僕が手を出して、とても勝てるものではないと悟った。
彼は毎週月曜日の昼時には、会社の休憩室で弁当を食べながら、前日のレースに一喜一憂していた。5~6年会っていないが、元気だろうか。
つまり、このようなロジックは全てのギャンブルに対して言える。
競馬はギャンブルではない。
競艇はギャンブルではない。
競輪はギャンブルではない。
オートレースはギャンブルではない。
パチンコはギャンブルではない。
麻雀はギャンブルではない。
株はギャンブルではない。
FXはギャンブルではない。
宝くじはギャンブルではない。
ロト6はギャンブルではない。
totoはギャンブルではない。
一般的に見たら、株だってギャンブルだ。勝つか負けるか分からない、運の要素があるものは全てギャンブルだろう?
だが、トレーダーとも言われる株の専門家は、全くギャンブルだと思っていない。勝つ、負ける、全てに理由を付ける。大損こいた時も、「高い勉強代を払ったと思えばいい」と、言うだろう? 経済の勉強であると。
それでも、一般の素人より勝率は高いのだろう。
やるなら、勝つまでやる。そしてさらに勝つ方法を考える。
つまり、ギャンブルではないのだ。
この世にギャンブルなぞ、存在しないのだ。ギャンブルだと思った時点で、手を出さない方がいい。100%確率論に支配される世界に行けば、絶対に負けるから。相手は商売だ。
それでも「ギャンブルもしない男はつまらない」のだろうか?
ギャンブルをギャンブルのまま何となくやっている男は、確率論に左右されてるだけなのに、そこに金を出すことで「男として大きな勝負」をするから「つまらなくない男」だと言うのか?
どっちなんだ、田嶋!?