Facebookは俺たちに「おめでとう」と言わせようとしているのか
少し前に書いたこんなツイート。
Facebookで人気者になりたければ、人から「おめでとう」と言われる要素を少しでも多めに集めて、それに特化した書き込みをすることだ。
子供の成長、会社で昇進、誕生日 etc、Facebookでウケるのはそういう要素ばかりなので、それを自然に出せるやつがFacebook勝者。だからリア充SNSと言われるんだよね— BUBBLE-B | チェーン店トラベラー (@BUBBLE_B) June 8, 2021
Facebookを使ってもう10年以上たつが、若者を中心に「リア充SNS」「雰囲気が苦手」と言って敬遠され、ログインしなくなったり、アカウントさえ取らない人が多くなってきたと感じる。
その理由として、Facebookは人に「おめでとう」と言わせようとしており、それがSNSの雰囲気を作っているから、というのがあるのではないか?
…という疑問を抱くようになった。
とはいえFacebookの中の人に話を聞いたわけではないので、こんな仮説を考えてみた。
SNSの運営会社は、危険な書き込みや炎上によって、訴訟されるリスクを抑える仕組みを作らなければならない。
それがFacebookの場合、全体的に「おめでとう」と言わせるフワッとした雰囲気に持って行くことで実現させている。
Facebookで「おめでとう」や「おめでとうございます」という言葉を書いた時、その言葉だけ太字のオレンジ色になる。
書き込んだ後はこの言葉をクリックできるようになっていて、クリックすると風船が飛ぶアニメーションが表示される。
この時点で、Facebookとしては「おめでとう」という言葉を書くユーザーを歓迎していることが分かる。
ユーザーとしても「おめでとう」と書いた時に風船が飛んでくれると、ちょっと嬉しいかも知れない。
SNSには、相手のタイムラインにどのような書き込みを上位に表示させるか?というアルゴリズムがある。
このアルゴリズムのレシピは、ユーザーには快適な空間を提供し、広告の収益を最大化させるように調整されている。まさにブラックボックスの、秘伝のレシピだ。
Facebookでは、いろんなユーザーを抱えている中で、全てのユーザーに快適な空間を提供するために、Twitter感覚でめちゃくちゃたくさん書く人のタイムライン順位を下げて、たまに書く人のタイムライン順位を上げている。(これ、想像です)
めちゃめちゃたくさん書く人は、起きてる間はずっとSNSに触れているような人で、テレビの感想をリアルタイムでバラバラ書いたり、何でもかんでもシェアするような人。
対して、たまにしか書かない人は、あまりSNSやネットに熱心ではない人。そういう人は、本業や家族について書くことが多い。
本業や家族に集中している人がたまに書くことと言えば、「会社で昇進しました」「プロジェクトが動き出しました」とか、「結婚しました」「子供が生まれました」「子供が小学校に入学しました」のようなものだろう。
そうすると、そこにつくコメントは必然的に「おめでとう!」になり、Facebookが「おめでとう」という単語を認識して太字のオレンジ色にし、タイムラインで上位に表示するように加点する。(これも想像です)
そうしているうちに、タイムラインの上位には「おめでとう」コメントがいっぱいついたような、「会社で昇進」や「子供が入学した」的な書き込みがずっと独占するようになり、やがてそれがFacebookのおめでたい雰囲気となる。
そうなると、モテない独身だったり、無職やブラック企業に属してたりと、社会的に「おめでとう」と言われる要素が比較的少ない層にしてみれば、「Facebookに自分の居場所がない」と感じるのも仕方ない。
で、こういう雰囲気が支配してるので、Twitterでウケたバカな投稿やアナーキーなシェアは、Facebookではてんで反応がないのは仕方がない。
表現活動する人の表現内容よりも、世に羽ばたく「おめでとう」が優先される
自分も音楽CDを作ったり、Webで記事を書いたりするが、何かの創作物が世に出たことをFacebookで発表した時、たくさんの「いいね」が付く。
その「いいね」の意味は、「内容が面白い!」よりも「世に出て有名になる第一歩だね!おめでとう」の意味であることの方が多くない? と感じることが多い。
たとえば、たまに新聞・雑誌・テレビなどに出るとたくさんの「いいね」が付くけど、この「いいね」って、「面白い」よりも「おめでとう」の要素の方が強いように思う。それはそれでおめでたいし、悪いことではないと思うけども。
で、「これ、Facebookっぽいな~」と思ったことがあって、それは、例えば全国紙の新聞で連載をするとか、定期的に同じメディアにて創作を発表するような場合。
最初の1回目は「○○新聞で僕の連載がスタートします!」とという文章と共に実際に掲載された朝刊の写真というFacebookの書き込みで、もの凄くたくさんの「いいね」と「おめでとう、すごい」コメントが集まる。そりゃいいねだって何百個単位で付くかも知れない。
でも1週間後「連載2回目です」で「いいね」やコメントの数は半減し、「連載3回目」「連載4回目」の書き込みごとにどんどん「いいね」が減っていき、連載の終盤では、いつもの顔なじみ友達だけが反応するようになり、終わる。
あれっ、1回目の時の「いいね」フィーバーはどこ行った!
連載の内容だってどんどん面白くなってきてるのに、なぜFacebookでの「いいね」は減っていくのか?
っての、結構見た気がする。
つまりこれは、連載の内容が面白いから「いいね」なのではなく、「全国紙に連載が開始されたってすごい!全国の人に名前が知れ、世に羽ばたくじゃないか!おめでとう!」の「いいね」だったということではないだろうか。さらにそこに、Facebookの「おめでとう」オレンジ太字アルゴリズムが加算されていく。
連載を書いてる方としては、連載6回目や7回目くらいの時、反応が減って「いや~、もっと中身読んでくれよ~」って思うんじゃないかな、と。
「おめでとう」は呪いのワード? 物を売る・人を集める難しさ
前述の通り、創作や発表といった活動をしている人に対して、「おめでとう」という意味の「いいね」はたくさん届くFacebook。
しかし、その「いいね」は「じゃあ買います!」「そのイベント行きます」ではないと思っている。
たとえば、音楽をやっている僕みたいな人が、「新しいCDを作りました、今日から販売開始です!Amazonやタワレコにも並んでます!」「DJします!」とFacebookに書いてたくさんの「いいね」が付くけど、そこからはサッパリだったりする。
僕の音楽が万人にウケるものではないことは重々承知だが、音楽に限らず、Facebookという空間で物を売る、有料のイベントに来てもらう…といったことは難しいと感じている。
なぜなら、「買いたい!」「おもしろそう!」よりも、「これを世に出すことで羽ばたいていき、誰かの元に届くんだね!おめでとう!」が優先されすぎているからだ。
いやいや…こちらの想いとしては「おめでとう」よりも物を買って欲しいし、有料イベントに来て欲しいのだ。Facebookの難しい部分ってここだと思う。
もう「おめでとう」が呪いのワードのように思えてきた。
まあ、おめでとうでもいいんだけど…
結局、物を買ってくれたりイベントに足を運んでくれるのは、Twitterでその情報を知ったような、どこかの方々だったりする。
Facebookは「友達まで」の公開範囲にしている人も多く(僕もそう…人のこと言えない)、情報が拡散されることがほとんどない。だからいつも同じメンバーで情報を見せ合いっこするだけで、外から来た偶然の出会いに乏しい。
Twitterはその逆で、RTという機能がもの凄く働き、知らない情報に刺激を受けることが多い。「これヤバイ!」と思ったらすぐにRTされ、それがどんどん回ってくる。(Twitter中毒になる要因)
だから創作や何かしらの活動をする人は、Twitterという場所で、まだ見知らぬ誰かのために発信する意識を持つ方がいいし、TwitterでRTされて回ってきたコンテンツを「ヤバい」と思った人のうち買う人はほんの1%であっても、1万人が「ヤバい」と思ったら100人が買う人になるわけで、商売をしたり人を集めるならばTwitterが一番大事な場所だ。
…と長文を書いたけど、あくまで自分のSNSの使い方での話であり、Facebookだってもっと色々できるよ~!ってのもあるかも知れない。Pageをもっと活用するとかね。
以上、Facebookについて思ったことでした。