2011年3月 川崎
2011年3月11日 14時46分、僕は何をしていたのだろう。
前月、せっかく仲間と起業した会社を色々あって抜けた。
全てをリセットしたくなったので、引越しをして、車を買い換えるも、次の仕事を見つけることもなく、茫然自失の日々。
引っ越ししたばかりのマンションにて、2011年3月11日 14時46分、猛烈に揺れた。
1分くらい揺れ続けた。かつてない長さだ。
色んな物がバラバラと落ちた。洗面台では乾燥機がバタンと倒れ、ドアに穴を開けていた。
えらいことになったな…と思ってテレビを付けると、
大津波が来て、東北沿岸がむちゃくちゃになっていた。
想像を絶する状況だ。
この日は金曜日、首都圏の電車は止まり、会社から徒歩で帰る人で246の歩道は混雑したらしい。自分は無職だったので見てないけど。
翌日の土曜日、渋谷に出ると、ほとんどの街頭ビジョンが消されていた。
物流もパニックになり、近所のスーパーから食べ物がごっそり消えた。
近所の家電量販店では色々と完売していた。
無職になって茫然自失になっていた所にこんな事態になり、わけが分からない。
テレビやラジオでは、津波と火事、原発が爆発、何千人死んだなどという話ばかりで、自分の無職などどこかに消えた。
かなり参っていた。
電車も間引き運転してるのに、それでも必ず出勤しなければならないサラリーマンというのは何なんだと思った。
そんな日々のある夜、近所に住んでるのCGクリエイターの黒川君が連絡をくれた。
「懐中電灯を手に持って動かして文字を作って、それをスローシャッターで撮ったら文字になる。今、そういうアートを作りたい。一緒にやろう」と言ってきた。
何だか分からないけど、救われた気になった。
で、どうやるの?といいながら、ベランダでテスト。
あ、なるほど。こうやるのね。
やっぱりこういう文字書くよね。
で、懐中電灯を持って梶が谷の公園に行って、本番。
何か、こういうのが出来上がった。黒川君は、どこかに投稿したのかな。
悶々とした日が続いたところ、テレビCMがACの同じCMばかりになっていた。
その悶々エネルギーが急に爆発して、ACのCMをリミックスすることにした。これだったらみんな知ってるネタだろうと。
叩かれるかも知れないけど、どうにでもなれ、とヤケになっていた。どうせ俺は無職だ。
映像も付けて、Enjo-Gさんの声も入れて、1日徹夜した翌朝、CMのリミックスが完成した
ちょうど完成した時間くらいに、京都からAsohgiがうちに来たので、YouTubeへのアップロードのボタンをクリックしてもらって、二人で近所の日帰り温泉に出かけた。
それが、これ。
僕らが近所の温泉に入っている間にどんどん再生数が伸びて、いつの間にかYouTubeの総合ランキング1位になってしまった。
マジかよ。
ちなみにこの時は、AdSenseの広告のアカウントを持ってなかったので、どれだけ再生されても1円も入らなかった。
そんなこともあった。
そして、台湾の友達であるファンチャン君が、台湾の友達とで義援金を集めたから、日本の赤十字に募金して欲しい、と送金してきた。
台湾の赤十字はあんまり信用してないから、日本に直接送るのがいいのだと。
それがこれ。その行動力、すごい。いつもいつも頭が下がる。
ファンチャンは
「来月予定通り、東京行くから」
と言った通り、4月になって日本に来た。
本当は靖国神社でお花見をする予定だったのに。
適当な串かつを食べて満足しました。
ファンチャンとサミュエル。来てくれただけでも嬉しかった。
どんどん気温も上がる中、こんな時に転職なんかできるのか?と思う日々。
でもやることは特になく、車の洗車ばかりをする無駄な日々。
ダイハツ、ソニカ。自分でコーティングして喜んでいるところ。
車外マフラー付けて喜んでいるところ。
スピーカー変えてデッドニング処理をしようとして喜んでるところ。
タイヤ替えて喜んでるところ。
無職なんてこんなもんである。
でも、車をいじることで、心が少しずつ癒やされていった。
この車とは翌年に別れたけど、震災のあの頃癒やしてくれた楽しいやつ、というイメージがいまだにある。
そして、6月から前職の会社に正社員で入社させてもらった。
安定したお給料というのが、いかにありがたいものか、しみじみと感じた。
2012年11月 気仙沼
友達のポリゴン太さんとゴリラくんに誘われたんだっけな。
気仙沼で友達ができた。気仙沼の横丁でイベントやろう、と。
BUBBLE-B feat. Enjo-Gのライブで出てくれよと。
震災から1年半。
ずっと被災地に足を踏み入れることはできなかったが、まさか自分達がそこにライブをしに行くとは想像だにしなかった。
これが、横丁ライジング1回目のフライヤー。渋谷直角さん作。
気仙沼、10年以上前に行ったことがあったが、とてもご無沙汰していた。
しかしテレビで見るととんでもないことになっていたので、あまりハッピーな旅行みたいな感じにはならない。
レンタカーでハイエースを借りて、いっちー君によるちょっとフラつき気味の運転で、向かった気仙沼。
初めて見る「被災地」。
復興屋台村 気仙沼横丁の小野寺雄志さんは言う。
「地震と津波でこんなになってる街は、今しか見れないから、しっかり見ていってください」
ここに何があったか、元の景色は知らない。
でも、どれだけの凄い力がはたらいてこうなったかは、想像が容易い。
悲しみ、同情、そういうものよりも、人が動いて、街を戻すしかない。
やるしかない。盛り上げるしかない。
そうやって開催した横丁ライジング。
11月下旬ということもあってなかなかの気温の低さだったけど、熱く盛り上がるイベントになった。
で、我がBUBBLE-B feat. Enjo-Gはというと…
「ここでChimpo on the Beachをやるべきか、否か」
という、かなりどうでもよいことに本番5分前まで悩んでいた。
いくらウケるからって、被災地で下ネタってどうなのと。
でも、あえてこれをやるのが、良いのではないのか?と。
で、やった。
その時の模様が、これ。
なんか、めちゃくちゃ盛り上がってるし!
ライブが終わって横丁の店に行くと、店のおばちゃん達が「あのチンポって言ってる曲良かったわ~!ああいうのが聴きたかったの!」と言ってくれるし!
マジかよ!
ようやったわ、って感じで。
特殊な場の力やね。
この後、横丁ライジングは毎年のように開催した。
気仙沼も、すっかりお馴染みになった。
カラテクノがライジングに出演するなんて奇跡に近い。
2021年3月 滋賀
あの時入社した会社を辞め、滋賀にUターンして1年少し。
ちょっと東北が遠くなったけど、いろいろが落ち着いたら、すぐに行きたい。
あのマグロに、気仙沼ホルモンを食べに。
そして、乾杯しに。