ヤンキー vs ニコタマダム

  • 2017年10月19日
  • 雑記
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Instagramとかブログでマダムたちが日々の丁寧で上質な暮らしっぷりをキラキラな写真でUPすることと、ヤンキーが金色の文字がガーっと入ったスウェットを着てオラつくことは、やってる事は実は同じなのではないかと思う。

日々の丁寧で上質な暮らしアピールというのは、言い換えれば可処分所得に余裕があり、その余った部分をいかに生活向上に向けているかということだが、これも言ってみれば競争社会。どれだけ余裕があるか、どれだけ上質な暮らしをしているか、というアピールをすることで、ご近所やネット知り合いの中でのステージが決まるわけです。たぶん。
二子玉川とか白金台みたいな○○ネーゼ、○○マダムが大量発生している街では日々、そういったシバき合いが行われているに違いない。夫の年収は3000万?うち4000万よ?あなたタワマンの36階?うち43階よ、あそこアウディらしいけどうちはマセラティ、みたいな。ナメられないための競争ですね、これは。

それに対してヤンキーのオラオラもナメられないための競争だ。
ヤンキーがのさばる地域は得てしてビンボーであり、二子玉川高島屋の上質カルチャーみたいな物は1ミリも存在しない、メンチ切ったらパイプで殴り合い・角材で殺し合いの世界なわけですが、そんな中でナメられないようにするにはひたすら相手を脅してオラオラすることが有効なので、脅しのある服を着て、脅しのある車に乗るのだ。これも競争社会。お前シンナー吸ってっか?俺トルエン吸ってっぞ?シャブはキマるからやってみっぞ?みたいな。知らんけど。競争なわけです。

マダム達がInstagramやブログで上質を競うのも、ヤンキーがオラオラ服でオラつくことも、自分の立ち位置の確認であり、マウンティングであります。そういう意味では、両者似たようなもの。
こういうのは、どこにでもあるなと。例えば広告代理店な営業系とかの人が、より良いスーツを着るとか、よりハイブランドの腕時計をするとか、高いアウディに乗るいったことも、競争の渦中に身を置いてるからであって、無人島に一人で住んでたらハイブランドの腕時計もアウディも何の意味も無いわけです。

競争がある方が人間磨かれるという一面もあるが、どこで競争するかが重要なのかなと。