matchmaking services near manukau city taranaki gay dating sites blenheim dating apps speed dating in mangere auckland nz meet up west coast online dating sites dunedin singles your area over 50 dating in otago

「ひとり」を「寂しい」と感じたことが無いのだが

  • 2019年1月22日
  • 雑記
  • 0件

隣の芝生は青いというのは本当か

先日、地元の田舎に帰省した時、中学の同級生らと久々に会い、駅前の安い居酒屋に入って薄い発泡酒を飲み、落ち着く忘年会をした。
小学・中学の頃は全員ガキんちょだったのに、今や全員40オーバーのおっさんだ。それでも昔と変わらない。

定番の昔話でひとしきり盛り上がり、そして身の上話となると、なかなかみんなハードモードを生きている。
全員職業も立場も違うので、話に互換性が無いけれど、隣の芝生は決して青いところばかりでは無いようだ。

でも、みんな子供が中学生、高校生ともなっている。ハッと気づけば自分らはそんな歳なんだ。
ヘタすりゃもうすぐ孫が出来るんじゃないのか? やべー!

その一方、自分ともなるとミのコンで、ドクのシンである。
全く違うグルーヴが流れているのだ。

「いいよな~独身!うらやましいわ!独身に戻りたいわ!」

と言われたりした。
いまだに音楽をして、旅にばっかり出ていると、物凄く自由人に見えるのは無理もない。

だが、10年前ほどは

「いつ結婚するの?」

と言われることが多かった。
あの頃はみんな結婚を目標に生き、ゴールインしていったのだけど、いつから「いいな~独身」などと言われるようになったのだろう。
隣の芝生はやっぱり青いのかも知れない。

プロの一人っ子として生きてきた

自分は生粋の一人っ子で、親も共働きだった。
外で友達とスポーツするより家でゲームする方が好きだったこともあり、自分のオタク属性はごく自然に育まれていった。

それに輪をかけるように子供の頃から鉄道が好きで、初めて「青春18きっぷ」で一人旅をしたのは中2の頃、名古屋に行ったのがデビュー戦である。名古屋駅地下街のCDショップの店頭テレビで、「たま」の「オゾンのダンス」の映像が流れていたのをいまだに覚えている。

その初めての一人旅は刺激に満ちあふれていた。
全く知らない街、名古屋。知らない道、知らない電車、知らない地下鉄。「これが名鉄か!」といちいち衝撃を受ける。
「寂しい」どころか、「楽しすぎ」である。

高校に入り、ゲーム趣味と同時にパソコン趣味が加わった。
MSXという8bitのおもちゃパソコンでチープな曲を作ることにドはまり。どれだけ量産しただろうか。
作っては録音し、作っては録音し、電気グルーヴのオールナイトを聞き、作っては録音し、作っては録音し。

一人で完結する金の掛からないホビー、それは創作することである。
完成後をイメージして、パズルのようにシーケンスを組み、イメージに近づけていく。
「寂しい」どころか、「楽しすぎ」である。

大学に入ってバイトして、シンセやサンプラー、そしてWindows95のPCも買って、クラブやライブハウスにデビューした。
そこで出会った人達は、一人で家でチャカポコと曲を作るタイプの人ばかり。
シンセのつまみをいじっては「ミョ~ン」みたいな音を出して喜んでたり、何か変なボイスをサンプリングしてテクノやガバを作る厄介者ばかりであった。

ちなみに大学では軽音学部に入ろうと説明を聞きに行ったけど、「好きなバンドは?」と聞かれ、「ハードフロア」と答えた自分に対し「誰、それ?」と言われた瞬間、音楽性の違いを理由に入部を断った。「TB-303も知らない奴らは遅れてる」と思い込んでいるような自分には、「ミスタービッグ」や「エアロスミス」が好きだという軽音学部の連中と話が合うわけ無いのである。1曲も知らないけど。

大人になっても相変わらず

そんなひとり音楽活動は社会人になっても継続した。いつの間にかDJまで始めていた。
DJなんてひとり音楽の最たるもので、ひとりの人間が音楽に対するエネルギーをある意味最も効率的に消費できる形である。なんせ人の曲を再生すりゃいいんだから(語弊を生む表現)。

20代まで臭くて汚ねえライブハウス((C)YONCE)などで一緒に音楽やっていた連中は、こぞって結婚してパパになってマンションや一軒家を買って落ち着いていく中、相も変わらずひとり音楽を続けていた。
そして中2から続くひとり旅も続け、20代の後半には47都道府県全てに足を踏み入れ、30代の頭には全県で宿泊まで達成した。
「寂しい」どころか、「楽しすぎ」である。

子供の頃に生粋の「一人っ子」かつ「鍵っ子」だった人間は、大人になっても「一人っ子」かつ「鍵っ子」である。
ひとりが全く苦じゃ無いどころか、好奇心に対して素直に行動する快感が勝ってしまうので、ひとりの時間というのは学びの時間となり、クリエイティブな時間となった。

それは決して誰かといることが苦痛、いうわけではない。面白い人とずっと面白い話がしたいし、物知りな人から刺激を受け続けたい。
しかしひとりはひとりで意義があるのである。

でも、大多数の人はそうじゃないらしい。
ひとりで旅に行くと言うと「寂しくないの?」と聞かれる。
ほとんどの人は旅とは集団で行くものなので、「一人で行って何が楽しいの?」と思うのだ。

こちとら、旅の途中は忙しいっつうの。
目に入った食べ物がどんな素材で作られてるか、目に入った建物がどれくらい歴史があるか、スーパーには何が売っているか、海はどんな色をしてるのか、猫は太ってるのか、電車はどんな音で走るのか、そしてどれくらい揺れるのか、地元の高校生はどんなジャージを着てるのか、大通りはどんな車が走っていてナンバーはどこなのか、気になって仕方が無いのだ。
それに加えて毎週聞いているラジオをRadikoで聞かなければならないし、読みかけの本もスマホのkindleで読むし、積み音楽もガンガン消費していかなければならないし、次に出演するイベントでどんなDJしようか、どんな曲作ろうか、あっ面白い看板発見したら写真撮らなきゃとか、ブログに何書こうか…とか考えて忙しいのだ。
「寂しい」どころか、「楽しすぎ」である。

そして例によって集団行動が苦手である。
そんな自分が、よくサラリーマン20年もやっているなと思う。奇跡だ。
集団行動が苦手マンは人間関係に関する要領も悪く、世渡りも下手だったりするので、決して「青い芝生」ではない。むしろ「真っ赤」だ。
それでも楽しいことを途切れさせず、青い芝生だと思われて生きていったほうが良いだろうな。

などと考えた、去年の忘年会の帰り道であった。