wellington nz best dating websites invercargill area singles singles my area auckland best free dating apps near nelson men seeking men north shore

「好きな事を仕事にする」前に「苦手な事を仕事にしない」ことが大事な理由

好きなことで生きていくと溝に落ちる?

本屋に行くと、

「好きなことで 生きていく」
「好きを仕事に」

みたいな、迷える人間たちを良いカモに導いてくれそうな本がやたら増えた。

Amazonでも「好きなこと」というキーワードで検索すると、この手の本がヒットしまくり。

好きなことで生きたかったり、好きを仕事にしたい人が多くいるから、それが「好き本」市場となり、「今『好きを仕事に』と言うテーマで本を書けば○万部はカタいですよ!」とソロバンが弾かれて本が書かれ、印刷されて書店に並ぶわけである。

しかし、この手の本に書かれているのはちょっと刺激的だったり夢物語だったりして、結局「そんなの実行できないよ」と思わされて終わる。

例えば「YouTuberになって自分の趣味を表現することで広告収入が得られ、食っていけますよ」とか言われても、どうしろっつう話。
誰でも投稿できるYouTubeだから自分にもちょっと可能性を感じさせてくれる所がミソだけど、「それが実行できるのは書いた人が有名人でTwitterフォロワーが多いからだろ」と、普通は思うだろう。

迷える人間たちと「好き本」に書いてある内容との溝は、南極のクレバスくらい深そうだ。

(とはいえ仕事まで行かなくても「好き」を追求していくのは超重要)

もっと大事なことは苦手から逃げること

好きな事を仕事にするよりも、もっと先に考えなければならないことがあるのではないか。

自分を含め、大概の人間が何かしら迷ったりストレスを感じる時というのは、「苦手なことに直面している時」だと思う。

その「苦手なこと」をどうにかするだけで、だいたい何とかなったりする。
でも、どうにもならないのが「苦手」の厄介なところなのもまた事実。

例えば自分だと「大量のデータを一つの間違いなく処理をする」みたいなことが苦手だ。
自信が無いから何度も確認してるのに間違える。
何度反省して、何度ミスしないように気をつけても、ダメなものはダメである。
これはもう、そういう事が「苦手」だからだろう。出来ればやりたくない。

こういう能力的「苦手」は色んなパターンがある。

フリーランスで右脳や直感を大事にする仕事をしている人で、見積書や請求書を書くのが苦手という人は多い。
日々プログラミングしているエンジニアは、飛び込み営業で外回りして物を売るという仕事は苦手という人が多い。

英語が苦手という人もいる。
音楽の作曲ができないという人もいる。
ひどい絵しか描けない人もいる。
ギャーギャーとわめくクレーマー客の相手が苦手という人もいる。
高い所(送電線とか)で作業するのが苦手という人もいる。

これらは能力のアリ・ナシではなく、「合う」「合わない」の話だと思う。
なぜなら、右脳や直感を仕事にまで昇華できる人や、プログラマーやエンジニアは、決して無能な馬鹿ではないからだ。

それを無視して、エンジニアに「今日から外回りの営業をして来い!」と仕事を割り振ると、そのエンジニアはストレスを感じるようになる。
でも、会社の中には外回り営業が得意な人というのもいて、その輪の中では(当然)営業成績が振るわない元・エンジニアに対し「お前の営業成績が悪いのはやる気が無いからだ!」と叱ったところで、どう解決するというのだろう?

そんな例は枚挙に暇が無い。

要は「苦手」とは能力の優劣ではなく「合う」「合わない」の話である。

大量のデータ処理が得意な人もいる。
見積書や請求書を書くが何の苦でも無い人もいる。
外回りの飛び込み営業が得意な人もいる。
英語が得意な人も作曲が得意な人も絵が得意な人もクレーマー客の対応がお茶の子さいさいな人も高い所でも平気な人も、いくらでもいる。

能力の優劣ではなく、「合う」「合わない」だけ。

なので「合わない」ことに対してストレスを感じ、それを克服するために努力した所でマイナス100がマイナス90くらいにはなるかも知れないが、「合う」と思って好きでやってる人に勝てるはずは無い。
作曲ができない人にスパルタ教育をした所でロクな作曲ができるようにならないように。

のだから、「合わない」と思ったら逃げるのが良い。
他人は自分のことなど分かりもしないので、「合わない」ことでも平気で放り込んでくるものだから、自分で「苦手マネジメント」するしかないのだと思う。

「好き」より「苦手が少ない」世界を探すのが人生かも

…とは言っても、会社の命令でこの(苦手な)仕事をやっているだけだし…とか、一人で仕事をしているから苦手なこともやらざるを得ないし…とか色んな都合がある。
そんな事情は、大金持ちで何から何まで誰かにケツ拭いてもらえる奴以外、誰にだってあるのだ。

しかし、「自分が何を苦手としているのか」が分かった状態というのは、分からない状態よりも随分マシだと思う。

自分が何を苦手としているのか分からなければ、迷えるモヤモヤから抜け出すことは難しい。
そこから突然飛躍して、「なんだか分からないけど環境を一気に変えたら全部上手く行くのではないか?」という考え方に至ると、なかなかキツいと思う。

自分は何が得意で何が苦手かを落ち着いて把握することから始め、苦手なことが分かったら、それを少しでも切り離すことを考えればよい。
もしくは、出来るだけ自動化とか省力化で何とかするように工夫することで、ある程度小さくできる。
場合によってお金がかかるかも知れないけど、苦手な自分がやるより良い結果になるはずだ。

それでもどうにもならないのであれば、ようやく思い切った行動をする時だ。
とはいえ、上に書いたような「好きなことで生きていく」方面に飛躍する前に、「苦手が少ない世界」を探すことが大事だと思う。

代わりにAIがやってくれる?そんなアホな

「これからはAIの時代になって、面倒なことは全てAIがやってくれるから、あなたは好きなことだけに取り組みなさい」

いずれ世の中はそうなるのだという。シンギュラリティって言うらしい。

これがどうも綺麗事にしか聞こえない。
技術に興味を持ち始めた若者を焚き付けて、あわよくば著書を売ったりオンラインサロンに加入させようとするタレントの詭弁としか思えない。

なぜかというと、AIの発達というのはコンピューターの発達の延長線上だ。これは明白でしょ?
で、コンピューターといえば「パソコン」として会社に導入され始めた80年代後半くらいから今に至るまで、CPUも記憶装置のメモリもネットワークも飛躍的な速度で進化し続けている。
昔は16ビット、フロッピーディスク、メモリは640kbだったのに、今やその1万倍?もっと? 性能は上がってるはずだ。

コンピューターは仕事を助けてくれる。仕事を効率化してくれる。人間の単純作業を自動的にやってくれる。
だからコンピューターの速度が上がれば、人間はどんどん暇になり、空いた時間で好きな事ができる。将来が楽しみだなあ。
と、80年代は誰もがそんなキラキラした妄想をしていたはずだ。

それが2019年になって、果たして人間、楽になりましたかね?
コンピューターの処理速度が上がったおかげで、2時間だけ働いて、あとは家で寝てればヨシ!となりましたかね?

全く。それどころかいまだに長時間労働の職場が多い。
しかも労働生産性は先進国で最悪と来た。

自分が初めてコンピューターに触れてから30年くらい経った今、その性能は当時とは雲泥の差なのに、仕事は忙しいままだ。誰が仕事を2時間で終わらせて昼寝できるというのだ。

その原因は、その仕事の成果を消費する速度もまた同時に上がっているからである。
つまり1989年は、10を作って10を消費する時代だったけど、2019年は10,000を作って10,000を消費する時代になっているから。

そう考えると、AIの時代になっても(仕事量は)何も変わらないと思いたくもなる。

AIに何かしらの仕事を奪われ、人間のやる10倍の生産性を得て10,000を作ってたのが100,000作れるようになったとしても、同時に消費者の消費量は10,000消費していたのを100,000消費する世の中になるだけでだろう。
しかも1980年代の10の時と、Ai時代の100,000の時が、同じ値段のままで取引されるから、儲かりもしない。(ファミコンとPS4のソフトの値段がほとんど同じである理由)

という風に考えてるので、来たるべき未来にAIが自分の苦手や面倒を奪ってくれるような甘いことは無く、結局これからも自分で「苦手マネージメント」を考える必要があるのではないかなと思うわけでございます。